なるように生きる。

日常生活の中で感じた事や、思った事をのんびり綴るブログです。

家族ってなんだろうな。

今、実家から帰って来て落ち着きました。

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実家を出て3週間めの土曜日を迎え、ひしひしと感じているのが、もう自分が属する居住空間ではないという感覚です。

人様の家だなぁ、と。



実は実家を出てからも、1日置きの間隔で実家に立ち寄ってました。

私は実家を出ると云っても、姉が借りてる部屋に転がり込む形の居住なので、恐らくは世の中の人たちよりイージーな巣立ちだと思います。

姉の部屋はお風呂の設備が整ってなくて、聞くもワイルドなお風呂生活をしてたらしいです。
私は姉のように生活できないので、ちょくちょく実家の世話になっておりました。


両親はご飯を食べたらすぐにお風呂のお湯を抜いてしまうので、急いで入らねばならないのです。
場合によっては沸かし直さねばならないので、結果、灯油と電気代がかさみます。

母いわく「うちだってお金ない」そうなので、実家に5千円を入金する仕組みができました。
何でも、実家で夜ご飯食べて良いし、足りない食材は持って行って良いよ。
損はしないでしょ?びた一文まけないよ。

との事です。



まぁ、1度その条件を飲んだのですが、最近になって風向きが変わりました。

休みとかで時間がある時は「茶碗洗いしてって」「掃除しに来て」「何か都合の良いように使われてる気がする」「気遣い欲しいよ」と、何だか無茶ぶりされてる気がしてきました。


云っちゃ何ですが、兄夫婦は実家の食材ふんだんに使ったご飯食べて行ったり、両親から頻繁に車借りてくんですがガソリンも車の保険料も彼らは負担しないのですよ。

両親が愚痴るので、云えばどうかと進言してみたら、将来的にはお世話になるから強く云えないとの事でした。

これ聞いて姉と私は頭に疑問符が浮かびました。


望む通りにしてくれるとは限らない兄夫婦より、今まで一緒に過ごしてきた、時に親が望むように動いて来た私たちに少し離れただけで「冷たい」と云ってしまえる母に、何とも云えない不快感ばかりが蓄積されていく土曜日でした。

今回はお金の話しか出なかったのが、もう不愉快でした。

金がないって云うなら、兄夫婦から徴収してみろよ。
金がないって云うなら、お菓子やケーキ等の嗜好品を溜め込むなよ。



こんな風にしか思えないなら、早くお金貯めてお風呂設備を整えてやる。
そして、本当にたまにしか顔出さないでやるわ。



本当、家族ってなんだろうな。

いつの間にか、如月。

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そう云えば、もう2月なんだよな。
しかも、半分過ぎてるという。

ちょっとずつ私の生活に変化が起きて来てる今日この頃。
日差しが春めいて来るのを感じ、そろそろ動く頃合いに思う。


地味に動きは有り。
はい、私、実家出ました(*´ω`*)

2月の頭に私物を運び出して、先週の月曜日から姉と一緒に暮らし始めてました。



実家を出て、これから先に経験するであろう現実を越えて、自活していく為の実績を作る武者修行を開始してました。
がんばらないで、がんばる。

間に合わなかったから、新年の挨拶で。


本当は日付が変わる前に更新したかったのだけど、そうこうしてる内にカウントダウンなってしまった(´ω`)

あけおめなのです。
いつの間にか今日が昨日になり、今日が今年に切り替わる。
相変わらずにマイペース更新していくと思います。






しかも、気分で文体が変わる、困ったブログを今年もよろしくお願いします。

本当、2017年になったんですね。
兄や姉のLINE着信が騒々しや。


私は鳴りません。
ぼっちですもの(*ゝω・*)

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33歳のクリボッチ。。

とうとう33歳になってしまった。

世間でいう所の彼氏居ない歴と、相手が居ない状態のクリスマスを迎えた回数がぴったり重なる私。
20代では周りに「クリスマスのご予定は?」と彼氏とのお付き合いを想定した言葉を掛けられたりしたのだけど、さすがに30過ぎたら変に気を遣われる身分になってしまったようだ。

掛けられる言葉は「好い人見つかるといいね」「相手は居ないのか?」「孫抱きてぇな」等、結婚やその先の事をほのめかす言葉ばかり。

とても、お腹一杯。



世の中が未だ恋をして、結婚して子どもを育てるのが、健全な男女だと思ってるのだから仕方ない。

私はすっかりその流れから取り残されてしまって、恋を知らず、結婚に関心を持てず、子育てに関しては世間のお父さんお母さん頑張って!位にしか思わない30代になってしまった。

身近に気楽に会える友達は居ない。
物理的に近い所に住んで居ても、主婦業やお母さんが忙しいので、会う事はほとんどない。

友達と楽しく騒ぐ事も、私には縁遠い事だ。

だから私はクリスマスケーキを下げて、家族が待つ家に帰るしかない。
父母も老いて陰りが見える。

いつまで私は家族とクリスマスケーキを食べられるのだろうか。
漠然と考える。

お一人様を想定しないクリスマスメニューは、家族が欠ける毎に買う必要性はなくなるね。


私は家の外では常にひとりぼっちだ。
なら、友達を作れば良いじゃないか、と人は云う。

そんな簡単に考えられたら、私はひとりぼっちにはならないよ。

誰と一緒にいても、誰と関わっても私は寂しい。
クリスマスになるまで集え騒げとはやし立て、クリスマス当日には飾りを取り払って良い新年を迎えましょう、と切り替わる。


うんざりするから、クリスマスは無しにしない?

誕生日を迎えて、気持ちを切り替えて頑張ろうとする気持ちが萎えるわ。

(とりあえず)ハッピー(なんて全然思ってないけど)メリークリスマス(って云っといてあげるよ)。

自分を消したいと思わない初の師走。

私はいつも今の時期、私物を処分したり、身の周りを整理したりしてすっきりしたい衝動に駆られる。

いつからこの行動を習慣化していたのかは定かでない。
気づけば毎年、私の誕生日が近づくと心がざわついていた。


例えば詩やイラストなど、人様に見られたら恥ずかしいもの。
部屋がごちゃごちゃしていたら、家族が困るだろうなとか。
関心の無くなってしまったものは捨ててしまおうと、ゴミ袋を手に取ってみる。





私が今の時期に片づけ事を始めるのは、きっかけは些細なものだ。
ふと思い立つ、衝動から来るもの。
意味などない。

きっと家族から見て、恐らくは誰から見ても年末に向けての片づけにしか見えないと思う。


そう、行動自体は大した意味はない。






ただ、「何のためにするのか」を考えてみると理由はあるような気がする。

処分するのは、いずれも「私自身がこの世からいなくなる事を想定して」の言葉が浮かぶようだ。

いなくなる、それは病気やケガの事ではない。

昨年から健康診断に引っかかるようにはなったが危惧するする程ではない、第一、私の身体そのものは健康だから。
今の時期は車で遠出を控えているので、余程の油断や運の悪さが重ならなければ交通事故の可能性も低いと思う。


ではなぜか。
考えてみれば、私は思いのほか、私自身の事が大切ではない。

明日を生きるという、明確な意志や執着もない、そんな感じがする。

それなら、生きてても何の意味もないような気がして、私は私物を捨ててみる。
捨てようとして、あるいは捨ててしまって悲しくならなかったら寂しくならなかったら、私はどこか遠くに行こうと思っていた。



行かないで済んだら、年明けの初日の出を眺めてまた1年を過ごす。
儀式みたいに。
たぶん儀式なんだろう。

私の心に問う「生きたいか」、みたいな。







思い返してみると、今年の春頃まで職場に行くのが苦痛だった。
パワハラモラハラしてくる上司や社員と関わるのが嫌で仕方なかった。

上司が代わって、今の上司もはっきり云ってクソなんだけど、実害はないからマシだと思ってる。

精神攻撃を受けさえしなければ、人は穏やかになれるんだなぁと、実感してる。




整理整頓は今年もしている。

ただ、今回のは未練がなければ「この世にさよならする」類のものではない。
家を出る為の、自分の生き方を模索する意味合いが混じってるので、少なくとも家族を悲しませる事はないと思っている。

相変わらずまだ「何となく生きている」状態ではあるけど。



まぁ、私の今の行動が実を結べば、春先には新生活が始まっている筈ですよ。

温かいって幸せだな、って。

布団でミノムシのように丸まりながら、24日、朝になりました。
すごく寒かったです。
息が白かった。

茶の間にて、父が反射式ストーブの前でコーヒーをすすってました。

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今冬のストーブのお目見えです。



私もストーブ前でお茶をすすりました。
めっちゃ美味しかったです(*´ω`*)
ご飯はオートミール増量のフルグラとコーンスープを頂きました。

温かいって幸せだなぁ、と思いました。
今の時期、暖を取れる事がいかに有難いかを再認識です。
たくさん睡眠取れたから、ものすごく快調でした。

テレビの音がないのも、穏やかで清々しいものですね。



身支度してから少しして、電力会社の人が来て電気の通りを確認したら、通電してるけど異常も見られるから、業者さんを呼んだ方が良いという事で。

電力会社の人と業者さんが仕事するのを横目に、私は出勤してきました。














仕事終わって帰宅したら、電気がついててホッとしました。
今日も暗闇で寒い思いするのは気が滅入りますからね。
温かくて本当良かった(*´ω`*)

と、温かいご飯を頬張りながら思う私なのでした。



停電の原因ですが、一階の線が焼き切れてたらしいです。

「落雷とかなかったですか?」

と、聞かれたようだけど、すみません分からないです。
今住んでる借家はかなり古いから、経年劣化の可能性が濃厚かな、と。


人も物も歳は取りたくないものですな。

この出来事を期に、業者さん方の連絡先は把握して、いざという時に慌てなくて済むように、最小限の生き方を構築しようと思いました。

生きてるって素晴らしい(´ω`)

文明の利器が動かぬ闇では、人は無力なのだな。

先日、何でもない日常がとても有難い事だと思える出来事があった。
今月の23日の夜から24日のお昼頃まで、わが家は停電してしまったのだ。


何でもないいつもの事、父は夜ご飯後こたつでうたた寝、姉は趣味の小物作り、私はぼーっとテレビを眺めていた。
そこに風呂から上がった母が自分の所定の席に腰掛け、ドライヤーで髪を乾かし始めた瞬間、真っ暗になった。


事態を把握して、母はパニック状態になり、私や姉は思案した。

どうやら、停電しているのはわが家だけらしい事。
なかなか復旧しないので、父の手を借りる必要性があるという事。


寝起きの父はものすごく機嫌が悪い。
だけど、今は初冬である。
このままでいるのは健康上よろしくない。




案の定、睡眠を阻害された父は不機嫌だった。

私が住んでる家は、庭を挟むように建っている建物を経由する形で電気が通っている。
だから、電気に関する以上は建物のブレーカーを操作すれば分かる、らしい。

父が調べ、私も横で様子を見ていたのだけど、建物自体は電気は生きていて普通に灯りもつくようだった。

ブレーカーを操作するたびに茶の間内にて、ブツっと音が鳴るだけで暗闇に変化はない。

延長コードにタコ足しまくったからおかしくなったのかなー、と慌てて外してみるものの現状維持。
母は相変わらずパニック状態で、父は庭向かいの建物と茶の間を行ったり来たりしていたように思う。


そんな私はお湯が冷めない内にと、風呂に入っていた。
呑気だと云われるかもしれないが、暗闇の中で人間ができる事などそんなにないと私は思っている。


父は何とかしようとしているし、私は私で仕事に備えて身綺麗にしてたいと思ったし、何よりこの夜はとても寒かったので温まりたかったのだ。
母みたいにパニくってても、どうにかなる訳でもないし。

とりあえずお米といで予約しかけなくて良いんだ。
温まって、さっさと寝て朝を待とうと思った。





そして寝る間際に知った事なのだけど、二階の父母が寝室として使ってる部屋と、父の書斎(という名の物置)は電気がつくという事実が。

業者さんを呼んで、家の通電異常を調べて貰う事を決めてそのまま就寝。








東日本大震災以来の真っ暗闇で朝を待つ事となったのでした。
ライフラインを断たれると、人って何もできないよね。