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なるように生きる。

日常生活の中で感じた事や、思った事をのんびり綴るブログです。

自分を消したいと思わない初の師走。

私はいつも今の時期、私物を処分したり、身の周りを整理したりしてすっきりしたい衝動に駆られる。

いつからこの行動を習慣化していたのかは定かでない。
気づけば毎年、私の誕生日が近づくと心がざわついていた。


例えば詩やイラストなど、人様に見られたら恥ずかしいもの。
部屋がごちゃごちゃしていたら、家族が困るだろうなとか。
関心の無くなってしまったものは捨ててしまおうと、ゴミ袋を手に取ってみる。





私が今の時期に片づけ事を始めるのは、きっかけは些細なものだ。
ふと思い立つ、衝動から来るもの。
意味などない。

きっと家族から見て、恐らくは誰から見ても年末に向けての片づけにしか見えないと思う。


そう、行動自体は大した意味はない。






ただ、「何のためにするのか」を考えてみると理由はあるような気がする。

処分するのは、いずれも「私自身がこの世からいなくなる事を想定して」の言葉が浮かぶようだ。

いなくなる、それは病気やケガの事ではない。

昨年から健康診断に引っかかるようにはなったが危惧するする程ではない、第一、私の身体そのものは健康だから。
今の時期は車で遠出を控えているので、余程の油断や運の悪さが重ならなければ交通事故の可能性も低いと思う。


ではなぜか。
考えてみれば、私は思いのほか、私自身の事が大切ではない。

明日を生きるという、明確な意志や執着もない、そんな感じがする。

それなら、生きてても何の意味もないような気がして、私は私物を捨ててみる。
捨てようとして、あるいは捨ててしまって悲しくならなかったら寂しくならなかったら、私はどこか遠くに行こうと思っていた。



行かないで済んだら、年明けの初日の出を眺めてまた1年を過ごす。
儀式みたいに。
たぶん儀式なんだろう。

私の心に問う「生きたいか」、みたいな。







思い返してみると、今年の春頃まで職場に行くのが苦痛だった。
パワハラモラハラしてくる上司や社員と関わるのが嫌で仕方なかった。

上司が代わって、今の上司もはっきり云ってクソなんだけど、実害はないからマシだと思ってる。

精神攻撃を受けさえしなければ、人は穏やかになれるんだなぁと、実感してる。




整理整頓は今年もしている。

ただ、今回のは未練がなければ「この世にさよならする」類のものではない。
家を出る為の、自分の生き方を模索する意味合いが混じってるので、少なくとも家族を悲しませる事はないと思っている。

相変わらずまだ「何となく生きている」状態ではあるけど。



まぁ、私の今の行動が実を結べば、春先には新生活が始まっている筈ですよ。