なるように生きる。

日常生活の中で感じた事や、思った事をのんびり綴るブログです。

今年が終わる前に①

あと数日で今年が終わってしまうので、ブログにひっそり書いとこうと思う。




もう先月の事だけど、母が入院した。


脳溢血(のういっけつ)だそうで。

入院する2日くらい前から「頭が痛い」と云っていた母。

入院する前日の夜は、母目線で右側に座る父を認識できなくて「お父さん、そこにいる?」を繰り返し聞いていた。

水曜日、抗がん剤の点滴を受けに通院して、主治医に話したら急きょ入院となった。



発見が早かったらしく、身体に麻痺が残ったり命に関わるという事はなく、幸いなのかな。

それでも、海馬と視覚野の近辺部分を損傷したので、物を見る時は認識出来ない所があるし、複数名の知人の記憶をなくしたし、文字も書けなくなってしまった。



リハビリが必要らしいけど、本人はやる気がないので父は諦めた模様。 

何とか年内には退院出来るらしい。

ヘルパーさんや車椅子の手配で、父が書類提出を気忙しそうにしていた。



とにもかくにも、先月は(2013年に再発してからもだけど)父や姉、祖母に義姉さんが連鎖するように調子を悪くする月だった。

祖父や兄はその間、会ってないので分からない。

もしかしたら、かもしれない。




私はおそらく、家族で一番、平静にしてたと思う。

母が再発してから「もしもの事態」を想像しながら生きて来たから。

薄情だと云われるかもしれないけどね。


癌が再発したら長期生存が難しくなる事を知識で知っていたので楽観視はしなかった。

12月に入ってから、脳に転移してると新たに情報を得た。

父が云うには「明日息をしてないかもしれない事を覚悟してください」との事。



あぁ、タイムリミットが近づいてるんだなと思った。



身近な父や姉はしっかりしてそうで弱い人たちだから、きちんと見てる必要があるかな。

祖母は、おばあちゃんは心臓に持病があるし、気遣いの人だから心配だな。

もしもの事があったら、じいちゃんのライフラインがピンチ。

じいちゃん、おばあちゃんがいないと生きてく事もままならないからな。

兄は落ち込むだろうか。仕事でミスしたりしてケガしないでくれたら良いな。

義姉さんは、お母さんの死を思い出して体調崩さなければ良いな。

千葉に住むおじさん(母の弟)には、母や祖父母の事を話したら他人事のように流されたと電話した父が云うので、まぁほっとく。




私は、とりあえず私らしくマイペースに生活する事を心がけよう。



おそらくは今年の大晦日が母と過ごす、最後の年越しになるだろうと思う。そんな予感がする。