忘れる事も必要だと思うよ。
おそらくは、今日も昨日に続きテレビで東日本大震災の特集組んだ番組を放送してるんだろうな、と思う。
昨日は出先で黙祷のアナウンスを聞いた。
有難うございました、の声でその時刻なんだな、というのが私の感想。
不謹慎かな、私は黙祷をしなかった。
別に私は死者に石をぶつけるのを良しとする人間ではない。
ただ、もう震災の事を思い出すという感覚がないのです。
あれから、もう6年ですよ?
あの時生まれた赤ちゃんは大きくなって、おそらくは元気に走り回ってる頃ですよ?
正直、感傷に浸るのはそろそろ止めませんか?
地震が発生したら、とにかく高い所に逃げて海へ近寄らない。
津波を被った地域には極力、民家等を建てない。
災害が発生したら、何より自分の身を守り避難しましょう、とそれだけを伝えれば良いんですよ。
あの時は辛かった。
あの時こうしてれば良かった。
そればかり云ってて何になるんですか?
しつこく云うけれど、6年も前に終わった事です。
その後悔を今、目の前の事に活かせませんか?
悲しみを蒸し返したり、例えば他人の行動を「不謹慎だ」と押さえつけたりして何になるんですか?
そもそも、私たちは今生きてるんですよ。
亡くなった方々を悼むのは大事だけど、私たちは私たちの生活をより良くして復興に繋げる事をした方が良いと思いますよ。
死んでしまった人の分も生きろ!と人様に云うのは重いし、そんな干渉する位ならほっとけ!って話です。
今はもう日常なんです。
思い出すのは時々で良い。
もっと云えば、他者に押し付ける悲しみは逆に復興の妨げになるから忘れる方が良いかもしれませんよ?
記憶は記録として残せば良い。
感情は引きずるべきでない。
世の中には、震災の日に生まれたり素敵な思い出がある人たちだって居ます。
その人たちの笑顔を曇らせる事は、間違いなくより良く生きる為の枷(かせ)になります。
亡くなられた方々も、誰かの邪魔をするのは本意ではないと思うのですよ。
生きる事の妨げになるのなら、私は忘れる事も必要だと思います。
忘れる事は冒涜や裏切りではないんですよ。
そういう風に震災から立ち直る人も居るんだよって話です。